「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」 2010.01.12
2010年 01月 12日19~20世紀初頭のウィーンで活躍した二人は、その前のパリの印象派の絵画を見慣れた私たちにとって、心乱される異色の画家である。かと思いきや、クリムトの初期の絵は、静謐で気品に満ちた古典主義的な写実であることに驚かされる。
弟子のエゴン・シーレは初めから破天荒で時代の反逆児のような痛快さが魅力である。
ハプスブルグ家のブルグ劇場の天井画、壁画で認められ、装飾家として名声を得たクリムトは、ウィーンの保守的な美術界に飽き足らず、新しい芸術運動を起こす。過激な性描写のため投獄もされている。父親が金細工師だったことや、日本の尾形光琳など琳派の障壁画から影響を受けたことから、有名な”接吻”や”ユーディット”など金の装飾の裸体画を多数描いている。
金色と鮮やかな色彩の衣装に描かれた模様はそれまでの絵画にはなかったものであり、よく見ると日本的な文様が多く用いられている。そのことが彼の絵を西洋絵画には見られなかった様式美として、私たち日本人の好むところとなっているようだ。
私は画家の絵を観るとき(作家の小説を読むときもまた)評伝からその人の人生のクロニクルを知り、その行間に垣間見る人間関係に興味を持つ。そこから製作意図を読み取ったり、より作品への理解が深まるからである。クリムトの華麗で内面的な世界を創ったのは義妹エミーリエの存在ではないだろうか。
クリムトの妻は若くして亡くなっている。ブティックを経営していた妻の妹エミーリエは、終生クリムトのよき理解者として協力を惜しまなかったそうであるが、華麗な衣装は彼女の店のテキスタイルから触発されたのかと想像してみる。
二人は精神的な愛だったという説と愛人だったという説がある。エミーりエが”接吻”のモデルであるのなら2人の愛は、余人をもって測ることのできない高踏なものだったと思われる。他にも上流社会の女性をモデルにギリシャ神話や聖書の世界を描いているが、官能的な表現の裏側に“死”のにおいが感じられるのは、幼児期の父親の狂死がトラウマとなり、孤独と死への不安に支配されたからと云われている。写真上「接吻」(今回展示なし)写真下「バラス・アテナ」アテナは軍神なのでこのような格好をしている。