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東電OL殺人事件 2   2012.06.12

 佐野眞一「東電OL殺人事件」あらすじ要約とその後の裁判の推移 
渡辺泰子...父は東大卒、母は日本女子大卒のエリート家庭の長女として昭和32年に生まれる。慶応大経済学部を優秀な成績で卒業後、東京電力に入社。父親を尊敬し、大学在学中に病死した父と同じ東電で働くことに、異常なほどの誇りを持っていた。

 企画部調査課から出向した後、企画部経済調査室副長に昇進するが、同僚との食事会、飲み会など一切参加しなかった。彼女が副長をしていた経済調査室は、国会答弁書や審議会用の資料を用意するなど、永田町や霞が関と極めて結びつきの強い部署だった。泰子のレポートは高い評価を得ていた。

 28歳時、ライバル視していた女性が、選ばれてハーバード大学に留学した事や、出向先から本社になかなか返してもらえなかったことのストレスからか、拒食症になり入院する。その頃から(平成1年)、クラブホステスのアルバイトを始め、事件の5年前頃から売春を始めている。

 夕方退社すると、渋谷区円山町をエリアに平日は毎日、土日祭日は午後は風俗店、夕方から夜鷹として立ち、雨の日も風の日も休まず、杉並の自宅には終電で帰宅した。平成9年3月8日深夜円山町のアパート空室で強殺される 39歳。

 事件後捜索願を出した母親は、以前から泰子の売春行為を知っていたと思われ、警察が押収したアドレス帳には夥しい男の名が記されていた。連絡先が判った顧客だけでも88名の事情聴取に及んだ。

 メモの中には、東電の常務2名の名もあったが、渡辺泰子のことは知らない、と頑なに聴取に応じなかった。東電も彼女が売春をしていたことは知っていたようだ。彼女が持っていた7000万円の株券は政治資金で、手をつけて穴をあけ返済のために円山町に立ったという噂が流れた。

 泰子は年収1000万、東電株7000万円の資産を持っているにもかかわらず、ビールの空き缶を拾い酒屋で換金し、小銭がたまると札に逆両替するほどの吝嗇家だった。長い髪のカツラと派手な衣装で装い、ホテル代が惜しい相手とは路上や駐車場でも平気でノルマのように4,5人を相手にした。一流企業のキャリアウーマンの表と裏の落差は、当時日本中を驚愕させたが、佐野氏の取材では、週刊誌に書かれた内容をはるかに超えていた。

 ゴビンダ・プラサド・マイナリ...ネパール人。広大な土地を持つ豊かな階級の出身で両親と住める家を建てるため、平成6年妻子を残して来日し千葉幕張のネパール料理店で働く。渋谷区円山町の粕谷ビル401号室に4名のネパール人と同居していた。

 ネパールに一日も早く家を建てるために、真面目に働き、給料のほとんどを本国に送金していたが、お金に困っているということはなかった。定期券のキセルをしたり、同居の仲間から家賃を余分に徴収するなど、ずるさも日本で身に付けた。

 事件4日後、不法残留容疑で逮捕され、2ヶ月後に入管法違反で懲役1年執行猶予3年の判決を受ける。同日強盗殺人容疑で逮捕された。 

 事件のあった喜寿荘は隣りのアパートで、101号は空家になっていた。2件のアパートは、幕張のネパール料理店の日本人オーナーが所有しているものだった。喜寿荘の鍵はゴビンダ被告が管理していたが、同居のネパール人リラを通じて3月6日に返されている。

 警察は、鍵を返却した日を事件後の3月10日に変更するようリラに執拗に迫り暴行した。腹部を殴られた男性は、所轄外の警察病院に連れて行かれ1ヶ月通院している。警察はリラに飲食や就職の斡旋など利益供与をし、証言を変えさせ、すぐに国外退去させている。

 佐野氏は、ゴビンダ被告と同居していたリラたちの証言を聞くため、ネパールのカトマンズに飛んだ。被告の姉婿マハトの案内で、果てしなく続く道なき道を4WDで東奔西走する。東西に長いネパールをプロペラ機で、ヒマラヤのアンナプルナ、ダウラギリ、マナスルを近くに見て家を訪ね、数人の証言を得ることが出来た。それらはゴビンダ被告の無罪を確信するものであった。

 ゴビンダ被告が鍵を持っていたかどうかは問題ではなかったことが解かる。いつも鍵は空いており、誰でも出入りできたからである。ゴビンダは、深夜帰宅途中女性から声を掛けられ、空家で3回交渉を持っている。鍵は返さないでおき、空家を利用した方が都合がよかったからだ。

 3回目に会ったのは3月2日以前で、深夜仕事帰りに女性に呼び止められた。遺体発見の日、トイレに捨てられていた証拠品はその時のもので、20日以上経っており劣化していたが、DNA鑑定でゴビンダ被告の体液であることが証明された。

 検察は、多くの目撃者の証言の中でも、女性が外国人らしき男と部屋に入るのを見たという曖昧な証言を重視し、予断と偏見でシナリオを作り有罪の根拠とした。ゴビンダ被告は一貫して強く無実を叫んでいる。

 弁護団は、現金が強奪されたバッグの把手から検出された血液型と、遺されたすべての体毛のDNA鑑定の結果から、第3者Xに辿り着いていた。最終弁論でこれらの点を突いた弁護団の理論展開に、”無期懲役”を求刑した検事はずっとうつむいたままだった。又、女性の遺体が発見される以前に巣鴨の民家に捨てられていた定期入れにはゴビンダの指紋はなく、謎のままである。

 平成11年12月、検察は無期懲役を求刑したが、平成12年4月、地裁で無罪判決。佐野氏が事件を追ったのはここまでである。その後検察は組織防衛に向かっていく。

 その後の裁判の経過は読売新聞を参考にする
平成12年4月.....この結果に地検は控訴、
平成12年5月.....高裁は検察の申し立てを認め、被告の拘留を決定し入管施設から                    拘置所へ再収監する。
平成12年6月.....最高裁は、拘留取り消しを求める弁護団の特別抗告を棄却。判事のうち2人は反対した。
平成12年8月.....控訴審始まる
平成12年12月...高裁1審の無罪判決破棄、求刑通り無期懲役とする。弁護側上告。
平成15年10月...最高裁上告破棄
平成17年3月.....ゴビンダ受刑者高裁に再審請求
平成23年7月.....被害者体内からの精液DNAと、現場の体毛のDNA鑑定結果から第3者Xのものが判明
平成23年10月...女の胸から検出した唾液、付着物がXのDNAと一致したことが新たに判明
平成24年3月.....女のコートの血痕からXのDNA型が検出されていたことが判明
平成24年5月.....高裁は第3者が犯人が自然として再審請求審が結審
平成24年6月.....再審開始決定され釈放が決まる
平成24年6月.....高検異議審申し立て
 
 
DNA鑑定の新証拠が判明してもなお、誤認捜査を認めようとしない検察の頑迷さには驚くばかりだ。
  
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by eikon007 | 2012-06-12 09:44 | その他 | Comments(0)